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東京観察    2017/06/02 13:00~14:00

 東京湾には、2012年に開通した東京ゲートブリッジという橋がある。今日、この橋を歩いて渡った。平日、昼間、強風で、橋を往復する間、誰ともすれ違わなかった。高い橋の上で、常に風に吹き落されそうな中、1人で歩く心持ちは、奥穂高岳を歩いている時のようであった。ここで、以下のようなことを考えた。


  
 東京の町が建築的に奇跡的だと感じられるのは、海から東京を眺めた時だ。人間の数十億時間分の仕事の証であるビル群が、海という自然界のギリギリまであり、それをわずか数キロメートルの厚さの大気が覆っている。その底辺部には水の蒸発したものが浮かび、さらに数百メートル下には液体の水が湛えられている。経済活動を支えるトラックが湾岸部の道路を走り、船が特定の海路を行き交えるように、秩序だった「浮力を持つ道」が敷き詰められている。数分間という一定の間隔で、空の中の同じ軌道を羽田空港に向けて飛行機が降りて行き、そういった空間の中を私が歩いている。これを奇跡と感じられるのは、今、大災害が起こったらこれらはひとたまりもないが、この瞬間には秩序的に存在しているからだ。そして、大災害が起こることに対する危機感が現実的なものだからだ。遠くに目をやれば、富士山や房総半島も見える自然の中にありながら、東京は、デパートの食器売り場のような、壊れやすい美しさを感じる。

 私は、自転車で西葛西駅から中川に沿って葛西臨海公園へ行き、そこから湾岸道路に沿って新木場に渡り、南下して東京ゲートブリッジに行った。東京は、湾岸道路より外側で、生活の場としての東京で無くなる。東京ゲートブリッジには、東京を外から観察することができる場所という価値がある。これは、高層ビルディングやスカイツリーなどでは感じることが難しい。自分の体を、地理的に外に置きながら、東京の街が見られる地点でないといけない。


 通常とは違う感慨に耽ることができたのは、東京ゲートブリッジの歩道に自分以外の人がいない状況だったからであろう。また、繰り返しになるが、高所で強風にさらされ、興奮しながら、勇み、前に進んでいたからだろう。さらに、生活圏から橋のたもとまで交通機関を使わずに行ったため、観察対象との距離感が持てた。幸運だったのは、もともと行く予定ではなかったが、今朝、たまたま行こうと思い立ったこと、行くことを決めた時刻から次にしなければならないことの時刻までの時間がやりたいことにかかる時間よりも少しだけ長くなるタイミングで行こうと思い立ったことなどで、これらの条件は、東京の町を外から眺める体験を奇跡的に感じさせた。今日を幸せに生きることができた。


 この奇跡の最後をしめくくるのは、東京ゲートブリッジを往復して、橋のたもとに戻ってきた時に起こった。金髪ショートの女性とピエロのお面を被った紫のトゲトゲ頭の人を含む集団に遭遇したのだ。彼らの周りに野次馬はおらず、人々の視線すら集めていないにもかかわらず、タイミングよく目の前を通ったため、気づけた。何かが自分を導いたような一日であった。